ラクイラ

中部イタリア アブルッツォ周遊

ラクイラ サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会
ラクイラ

中部イタリア アブルッツォ周遊

ラクイラ サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会

オーダーメイド ヨーロッパ

ローマにほど近い濃いイタリアの魅力を訪ねて

イタリア中部を縦断する、ローマとペスカーラを結ぶ路線の東寄り一帯がアブルッツォ州。

イタリア全土で最もイタリアらしい、またはイタリア色の濃いところ、それがアブルッツォといわれています。にもかかわらず、日本からここへ訪れる人はまだまだ少なく、ツアーもごくわずかしか催行していません。

旅行会社スタッフでさえモヤモヤしたこの州を、2014年7月に鉄道にて巡ってきました。訪れたどの町も、それぞれに個性があり、ローマ、ミラノ、ベネチアといった大都市から鉄道で容易にアクセス可能ですので、個人旅行に是非と思い立ち、モデルプランをご案内してみました。 実際に、自身が辿ったアブルッツォの日程を日本からローマへ到着し、ペスカーラより帰国する6泊8日プランにアレンジしたものです。

これに限らず、ご希望、ご予算に合わせアレンジは如何様にも可能ですので、見積もりフォーム、又はメールにてお問い合わせ、ご依頼ください。

アブルッツォ基礎情報

位置

イタリア半島の中部、そのほとんどがアドリア海側に広がり、北からテラモ県、ラクイラ県、ペスカーラ県、キエティ県の4県からなる州。

テラモ県とラクイラ県の間には、グラン・サッソ・ディタリア(Gran Sasso d'Italia)がそびえ、南にはマイエッラ山とマイエッラ国立公園、西側はいくつかの山並みにまたがるアブルッツォ国立公園(ヨーロッパで5本の指に入る美しさ)があります。

ラクイラやスルモーナは、山々の間に挟まれた盆地に形成された町です。

日本でおなじみの・・・

周囲を美しい山々に囲まれたアブルッツォは、その水質の良さから、様々な製品づくりの拠点となっています。 その中には、日本ですでになじみ深いものも…。

代表的なものは、パスタ。高級パスタとして知られているディ・チェコ、デルヴェルデ、ジュゼッペコッコは全て、キエティ県ファラ・サン・マルティーノに工場を構えています。

また、イタリアを旅する際にお世話になるミネラルウォーター、その代表的なサン・ベネデットは、アブルッツォの山々から湧き出る水が原料です。

ワインでは、モンテプルチアーノ種で作るモンテプルチアーノ・ダブルッツォ(赤)や、トレッビアーノ種のトレッビアーノ・ダブルッツォ(白)などが知られている他に、羊のチーズ「ペコリーノ」と同じ名がついた、アブルッツォ土着のペコリーノ種で作られたペコリーノ・テッレ・ディ・キエティ(白)などがあります。

山も海も

上述の通り、ヨーロッパ有数の美しさで知られるアブルッツォ国立公園と、グラン・サッソ・ディタリアに続くマイエッラ国立公園を持つこの州は、2000m級の山々が連なり、数多くのスキーリゾートがあります。

また「欧州乗馬ツアー」にて、アブルッツォ国立公園を中心とした乗馬ツアーをご案内のとおり、夏の山岳リゾートとしても知られています。

一方、ペスカーラを中心としたアドリア海沿岸は、ビーチリゾートが点在しています。

1日目 ローマ〜スルモーナ(ラクイラ県)

スルモーナ

以前から興味を持ちながら、今まで訪れることのなかったアブルッツォですが、今回訪れるきっかけとなったのは、世界文化社出版「あなたの知らないイタリア ミステリアスガイド・アブルッツォ」(石川康子氏著)を読んだことから。本のイメージを大切に、内容に沿って訪問地を選び、旅行中もこの本を読みつつ、アブルッツォへと向かいました。

先にイタリア南部を旅したのち、サレルノからイタリアの特急列車フレッチャ・ロッサ(ESイタリア)でローマ・ティブルティナ駅へ移動し、そこでペスカーラ行きの快速列車に乗り換えました。

ローマからペスカーラまでの路線は、まさにアブルッツォへの路そのものです。最初は、ラツィオ州ののどかな田舎風景が続いていましたが、じきに車窓から見上げるほどのごつごつした山々が続くようになったら、アブルッツォ州に入ったしるし。ディーゼル牽引車を先頭とした列車は、低い盆地や山の中腹を、上り下りしながら走ります。

ローマから、最初の目的地スルモーナへは約3時間。ここを、最初の拠点として2泊しました。駅からスルモーナの入り口に位置する4っ星ホテルSantacroce Hotel Ovidiusまでは、タクシーならわずか3、4分、のんびり歩けば20分くらいです。ちなみに、オヴィディウスはスルモーナ生まれの詩人。ラテン文学の名作「変身物語」の作者です。

チェックインは夕方でしたが、サマー・タイムのため、まだまだ夏の陽は高い時間。町を一巡するくらいの時間は充分取れそうなので、フロントでマップを貰って散策です。地図を渡しながら、フロントスタッフが丁寧かつきれいな英語で町の見どころを説明してくれたので、その通りに廻ってみました。

ホテル前の大通りを渡ると、すぐの教会はこの町の大聖堂、町の北西部にあたります。ここから南東のナポリ門まで、ほぼ一直線の目抜き通りが町の中心を通っており、端から端まで徒歩で15分もあれば行きついてしまう町です。

町の中心へ向かうと、最初に現れる大きな教会はアヌンツィアータ、教会と市立博物館が一つの棟となって建てられています。その先の最も大きな広場は、ガリバルディ広場。入り口にかかる21のアーチでできた橋は、1256年完成の水道橋です。ちょうど、7月最後の週末にガリバルディ広場で行われるミニ競馬の催しの宣伝用に、水道橋に横断幕がかかっていました。後に確認したところ、このスルモーナは、第二次世界大戦でほぼ壊滅状態であったにもかかわらず、戦後町民たちの手によって復元された町とのこと。そのような歴史を感じさせることがないくらい、中世の街並みが色濃く残されている町です。

イタリアでは結婚式にかかせない、コンフェッティという砂糖菓子発祥の町でもあり、目抜き通りにはコンフェッティ屋があちこちにありました。

この日は、ホテルのレストランで夕食。実は、アブルッツォの名物料理アッロスティチーニ(Arrosticini 羊肉の串焼き)がその日のメインだと聞いたので、あえてホテルでの夕食としました。赤ワインの中では重めながら果実味を感じる、モンテプルチアーノ・ダブルッツォに良く合います。

2日目 スルモーナ〜ラクイラ(ラクイラ県)〜スルモーナ

ラクイラ

スルモーナを拠点としたのは、おそらく宿泊可能なホテルがないようなラクイラ県の小さな町々を、鉄道を利用して訪れるため。スルモーナ及びペスカーラは、アブルッツォの主要ターミナル駅です。

そのスルモーナから最初に訪れたのは、ラクイラ県庁所在地ラクイラ。2009年4月の大地震で大被害を受けた町です。

スルモーナ〜ラクイラ間は、ディーゼル列車(たった2両編成)が、1日に数本運行しています。スルモーナを出発すると、すぐにグラン・サッソ・ディタリアの裾野を縫うように走り、トンネルを何度も通ります。約1時間で、終点のラクイラに到着。標高714mの町は、天気も変わりやすく、重たい雲が空一面に広がっていました。

町名の起源は、丘の麓にいくつかの水源地があり、そのおかげで古代にはすでにこの地域を「アクレ(Acculae)」と呼んでいたことによります。

また、ラクイラは99という数字と関連する町。旧市街の入り口、リベラ門をくぐるとすぐ見えてくるのは、ラクイラのシンボル「99の噴水」。町の周辺には、かつて99の城があったため、市内も99の地区から形成されたことに起因します。さらに99の広場、99の教会がかつてあったそうです。

震災から5年たった現在でも、町の至る所で修復が進められています。駅から町の中心ドゥオーモ広場までの西側部分は、ほとんど修復が進んでおらず、着いた時間が昼前ということもあって、工事の音さえなくひっそりとしていました。山の天気はとうとう雨を降らせ、一層町民を家に閉じ込めさせたことも重なり、ドゥオーモ広場までの道のりでは、人一人出会うことなく、まるで廃墟のよう。やっと、中心で少しずつ観光客を見かけるようになりました。

広場の正面にはドゥオーモがあり、その左面にはスッフラージョ教会。この教会は、修復のためすっぽりと工事用の防護壁でおおわれていました。地図も持たずに来たため、スマートフォンのマップを頼りに、サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会(町の人々はバジリカと呼んでいます)をさがし、雨の中をあちこち。昼食をとるような場所もなく、やっと行きついたバスターミナル内のBarで簡単な昼食をしつつ、そこでバスを待つ人にバジリカの場所を聞きながら移動です。

ラクイラで最も有名な2つの建造物のうちの一つ、サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会は、バスターミナルから歩いてわずか5分のところでした。大きな公園かと思うような一面芝の広場の奥に、左右対称の白とピンクを基調とした立派なファサードが目に入ります。3つのバラ窓の下に、3つの扉口、その扉の装飾で飾られている聖人像のいくつかは、震災の影響なのか頭部がなくなっていました。教会左側壁にある聖なる扉Porta Santaの上部には、ラクイラの象徴、鷲の彫刻が施されています。この教会は、聖ピエトロ・ケレスティヌスの遺体が安置されていますが、残念ながら、この日は中に入ることができませんでした。

サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会をあとにして、再び中心に戻り、中世のままの町並みを歩きます。天気は急速に回復し、夏の日差しが照りつけ始めました。町の北東部には、(カステッロ)があり、中には国立アブルッツォ博物館があるはずなのですが、またもや震災の影響で中に入ることができません。

再び町の中心に戻る途中で、もう一つのバジリカ、サン・ベルナルディーノ教会に出会います。ここは、震災の中継で何度もTVに映った、震災の象徴ともいえる教会です。教会の前には石段の坂道、それを登ると壮大な教会の正面が見えるはずなのですが、ここも残念ながら工事用の防護壁で囲まれていました。

1日でラクイラを見て回りましたが、少しずつ復興は進んでいるものの、まだまだ爪痕はあちこちに残っています。4っ星クラスのホテルを何軒か見かけましたが、1軒は完ぺきに修復中、もう1軒はかろうじて営業しているようでした。それでも、多くの観光客がこの歴史的に重要な町を訪れ、町の人々も観光による復興に力を入れていることに、この町のたくましさを感じました。何年後か、改めて訪問してみたい町です。

再びスルモーナへ電車で戻ると、町では夏のお祭りのようで、奥まった広場で屋台の食事が出るとのこと。レストランで食事をするより楽しいのではと思い、午後8時半の開始までビールバーで一休み。時間になって広場へ向かうと、町の人々がすべて集まったのではないかと思うくらいの混雑ぶり。座る場所の確保もままならなかったのですが、ボランティアの人々が観光客の我々を何とかテーブルに着かせてくれ、屋台でまたもアッロスティチーニやサルシッチャ、地元のワインをいただきました。

3日目 スルモーナ〜タリアコッツォ(ラクイラ県)〜ペスカーラ(ペスカーラ県)

タリアコッツォ

滞在したSantacroce Hotel Ovidiusには、日本びいきの女性スタッフがいました。日本を訪問したことがあることや、私にとってアブルッツォのバイブルともいえる本の著者石川康子氏との交流があること、日本語を少しずつ勉強していることを聞きました。

そのホテルをチェックアウトし、夕方まで荷物を預かってもらうことにして向かったのは、タリアコッツォ。当社が、イタリア周遊のヒントとしている「イタリアの最も美しい村々」協会に認定されている村です。アブルッツォにも多くの美しい村がありますが、鉄道で訪れることができるのはわずかしかありません。

ローマへ戻るように走る電車で、1時間少々。途中、車窓から見えたゴリアーノ・シーコリという村が非常に気になりましたが、今回は訪れる時間がありません。小さな丘の上に築かれた村の中心に、教会の鐘楼がとても印象的でした。次回アブルッツォを訪れる機会があれば、足を延ばしたいところです。

タリアコッツォは、中世とルネッサンスの建造物が入り交り、イメーレ谷の険しい傾斜地にへばりつくように造られています。到着した時の印象は、市街地がきれいに区画整理されており、村というよりは町といった感じを受けました。日曜日であったこともあり、市庁舎前の広場と道路は通行止めになっており、たくさんの町の人々や観光客でにぎわっていました。その広場に掲げられた地図には、美しい村のシンボルマークがあります。

観光案内所で地図を貰って、旧市街の散策をスタート。

マルシ門をくぐると、いきなり中世の町並みに変わります。ピンクや黄色のカラフルな家並みに続く、レンガの建造物との対比が、茶褐色の建物が多いトスカーナをはじめとする、他の地方とは少し異なる感じです。すぐに広がるのはオベリスコ広場。旧市街の散策は、ここからさらに坂道をあがっていきます。

最初に出会うのは、サン・フランチェスコ教会、14世紀の建造です。ファサードの正面には大きなバラ窓、教会脇に拡張された館には、フレスコ画で囲まれたパティオがあり、パティオから見える教会の鐘楼が見事です。その奥には、デュカーレ館があります。

オベリスコ広場に戻って、昼食をとっているとまたも天気は急変、雷を伴う雨となりました。それでも、レストランでの食事中に雨は上がり、次にマルシ門を出て町の南側へ。マドンナ・デッラ・ステラ教会まで向かいます。その先には、さらにサンタ・マリア・デッロリエンテ聖所記念堂があるとのことですが、そこからさらに3kmもあるため行くのを諦めました。

美しい村は、たいがい村の外から全体を眺めるのが良いことが多く、タリアコッツォもその通り。マドンナ・デッラ・ステラ教会へ行く途中振り返ると、険しい崖にへばり付くようなこの村を一望できます。

この村には、観光に十分通用する3っ星及び4っ星ホテルが各1軒ずつあるので、宿泊してもよさそうです。

夕方、スルモーナに戻り、タクシーでホテルへ荷物を引き取りに戻り再び駅へ。ペスカーラ行きの電車に乗ります。途中、夕陽を浴びたその姿が美しい、ポーポリという町を発見し、ここもゴリアーノ・シーコリ同様、再度アブルッツォを訪れる機会があれば足を延ばしたいと思ったところです。

ペスカーラまでは、快速電車で1時間少々。駅から近いという理由で、Bella PescaraというB&Bに3泊滞在。事前の予約確認書には3っ星クラスホテルと記載されていたのですが、ホテルスタッフがチェックインの時に不在の不思議なホテル。セキュリティがしっかりした門の脇にある伝言に「チェックインの時は電話をください」と書いてあったので、かけてみたところ、10分少々で駆けつけてくれました。捉え方によっては、必要以上に滞在客をかまうことのないスタイルと十分なセキュリティ(ホテルの入り口、部屋の入り口の全てをカードキーで操作します)、そして清潔できれいな部屋は、連泊するに十分なホテルです。

4日目 ペスカーラ〜ランチアーノ(キエティ県)〜ペスカーラ

ランチアーノ

ペスカーラからは、海岸沿いに南下してランチアーノへ向かいます。ペスカーラからサン・ヴィート間は国鉄(FS)ですが、サン・ヴィートからランチアーノ間は、ワイン畑の間を縫うように走る私鉄Adoriatico Sangritana鉄道で一駅、合計の所要時間は1時間弱です。後でわかったことですが、この鉄道は国鉄と相互乗り入れで、ペスカーラ/ランチアーノ間を運行していました。レイルパスでそのまま乗車可能です。

ランチアーノを訪れたのは、既述の石川康子氏の著書にあった「橋の上に建つ教会」という紹介文に、非常に興味をひかれたから。

到着後、さっそくその教会を目指して駅から徒歩で移動します。

町の中心プレビシート広場には、大聖堂とその鐘楼、サン・フランチェスコ教会の3つの建造物がそびえたちます。そのサン・フランチェスコ教会の鐘楼は、中北部イタリアとは違い、南部イタリアでよく見られるカラフルなタイル張りのクーポラです。旧市街は4つの地区に分かれており、高台にあたる地区は、中世の入り組んだ町並みを残しています。良く晴れた日だったので、町の人達が洗濯物を軒先に下げており、路地の間から洗濯物越しに、大聖堂やサン・フランチェスコ教会のクーポラを望むことができます。

ところで、橋の上に建つ教会はどれなのかと思い、広場に座っていた老人に「マドンナ・デル・ポンテはどれですか?」と尋ねたところ、「教えてやるからついてこい」みたいな勢いで、即席のガイドを務めてくれました。

彼はイタリア語だけですが、こちらが片言のイタリア語で尋ねると、その10倍は返ってきます。橋の上の教会は、実は大聖堂のことを指しており、老人の後について大聖堂の脇のアーチをくぐると、確かに緑豊かな小さい谷の上に、石造りの橋が架かっています。橋の上というので、てっきり川の上に架かる橋を想像していたのですが、実は緑の谷に架かる橋でした。広場にいたのでは、その橋の姿はわかりません。老人は、続いて我々を谷の脇まで降りられる階段を案内し、そこから大聖堂の写真を一枚。この橋は、3世紀にはすでに出来上がっており、15世紀頃、その上に現在の規模の大聖堂が建造されたそうです。

この教会には地下があり、その地下室からより近くに谷をのぞくことができます。また、大聖堂の地下室とサン・フランチェスコ教会は、一本の地下道でつながっているとの説明でしたが、あいにく途中のドアに鍵がかかっていました。地上に戻り、老人にお礼を言うと、ニコニコして足早に去って行ってしまい、名前を聞くことさえできませんでした。とても素晴らしいガイドでした。

アドリア海沿岸の町のためか、色の濃い建築素材を使った建造物が多く、レンガは濃い茶褐色、その他濃い赤の壁色をした建物など、日差しに耐えられるように建築されたものが多いのが目につきました。

ランチアーノで昼食のために入ったのは、Taberna del Marinaio。アドリア海のシーフードがメインのタベルナです。ここでは、シーフードの前菜とパスタ、そしてそれに合うと勧められた、ほどよく冷やされたペコリーノ種の白ワイン。潮の香りを引き出してくれる、白にしては若干重めのワインです。

帰りは、ランチアーノからペスカーラまで直通のAdoriatico Sangritana鉄道で移動。ペスカーラは、各町への拠点として滞在するだけなので、さほど町並みに期待はしていませんでした。

けれども、1点だけ心残りが…。 ペスカーラをはじめとするアドリア海沿岸のリゾートでは、トラボッコ(複数形はトラボッキ、Trabocco)というこの地方特有の、魚を取るため海に突き出した仕掛け小屋をレストランに改装して、シーフード料理を提供しているのですが、そのトラボッコでの食事を体験できなかったこと。 後にウェブで確認すると、宿泊したBella Pescaraでは、提携のトラボッコを紹介していたらしく、スタッフに聞けばよかったと少し後悔しました。この地方の名物「魚介のスープ(Brodetto di pesce)」を食したら、さらにアブルッツォの魅力が増大したかもしれません。

ちなみに、この町ではどこの銀行も、日本円からユーロへの両替を受け付けてくれません。郵便局なら扱っているといわれて訪れたところ、今のシステムでは日本の最新のお札を読み取るシステムが稼働していないため、翌日改めてきてほしいといわれるくらい。翌日、わずかに持っていた英国ポンドを両替するため訪れたら、「今日は日本円の両替が可能だよ」といわれ呆れてしまいました。ペスカーラに限らず、小さな町に行くときは、日本円以外の紙幣(ドルやポンドなど)を予め用意していったほうがよさそうです。

5日目 ペスカーラ〜ヴァスト(キエティ県)〜ペスカーラ

ヴァスト

アブルッツォ最終日は、例の本に書かれていたオルトーナへ行く予定でしたが、前日ランチアーノへ向かう途中に見えた、オルトーナの町並みにインスピレーションがわかず、代わりにランチアーノの観光案内所で周辺の町のパンフレットをいくつか貰い、その中で気になったヴァストへ急きょ変更しました。

日本でびっしりと列車の予約までしていたら、こうはできません、レイルパスでの旅行だからできることです。

ヴァストは、ラファエロ前派の画家ダンテ・ガブリエレ・ロッセッティが生まれた町として知られています。ペスカーラからオルトーナ、サン・ヴィートを通過してヴァスト・サン・サルヴォ駅へ、片道およそ1時間です。

ヴァストは、海に面したマリーナ地区と丘の上の旧市街地区に分かれており、2つの地区を結ぶのは路線バスのみ。駅前に市内行きのバスが止まっていたので、運転手に「チケットはどこで買えばいい?」と聞いたら、車内で販売しているというのでチケットを買って乗車。ちなみに、イタリアのバスのチケットは、タバコ屋(Tabacchi)などで販売しています。お札などで買うことができないことが多いので、予め小銭を用意するかタバコ屋で購入しておくのが便利。

さっそくバスに乗車し、旧市街地区へ。途中、いくつもリゾートホテルが建ち並ぶマリーナ地区の目抜き通りを通過しました。ヴァカンスで滞在するには、良いところのようです。

バスは、10分少々で旧市街の中心ロッセッティ広場へ到着。目に飛び込んできたのは、例えるなら中世の南国都市といった建物群です。ソテツらしき樹木と、見事な朽ち具合のカステッロ、強い日差しに耐える色濃い茶褐色の建材を用いた建物と、その奥にそびえる教会の鐘楼を一度に見ることが出来、この広場だけでも十分に訪れた価値ありです。

さっそく、ここから旧市街を一巡。地図を見ると、どうやら丘の上の旧市街地区というのは、ぎゅっとコンパクトにまとまっているようで、半日もあれば十分に歩き回ることが可能です。広場から真っすぐな道が続く、その奥にあるのが大聖堂。13世紀建造で、町のシンボル的存在です。この教会の鐘楼は特徴的で、頂上の三角屋根の部分は、金属の飾り細工でできており、その中央に2つの鐘が上下に下がっています。レンガでできているのはその下の部分まで。遠くから見れば、三角屋根の鐘楼に見えがちですが、スケルトンタイプです。

大聖堂から細い路地を歩くと、海が見えてきます。町立美術館として使用されている14世紀建造のダヴァロス館前には、アドリア海が一望できる広場があり、麓のマリーナ地区を望めます。そこからアドリアティカ通りを歩くと、13世紀の扉口をもつ、サン・ピエトロ教会があります。遺構として残されているようで、その姿はとても魅力的です。正面のファサードは、上下でレンガの積み上げ方が違い、2色のように見えます。そういえば、旧市街の家並みも同じような煉瓦の積み上げ方をしていました。

南側には、11世紀建造のサンタ・マリア・マッジョーレ教会の巨大ともいえる鐘楼が、町のシンボルとしてそびえています。

6日目 ペスカーラ〜ヴェネツィア

ペスカーラはアドリア海沿い、そしてアブルッツォ州きっての大都市で、東海岸沿いの交通の要です。南のレッチェから、北のベネチアまで、特急フレッチャ・ビアンカが運行しており、ペスカーラはその停車駅になっています。そして、上述の通り、ローマからイタリア半島を横切るようにペスカーラまで線路が続いています。また、国際空港もあり、空路移動も可能です。

最終日は、そのフレッチャ・ビアンカに乗車してベネチアまで移動。5泊6日のアブルッツォ周遊の終了です。今回は、テラモ県を除く3県を訪れましたが、まだアブルッツォの魅力の入り口にたどり着いたばかり。次回アブルッツォに再び訪れる機会があれば、さらに魅力を探して、テラモ県へも足を延ばしてみようと思っています。

最後に、この取材のきっかけとなった「あなたの知らないイタリア ミステリアスガイド・アブルッツォ」の著者 石川康子氏にこの場を借りてお礼を申し上げます。

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